David Suchet "POIROT AND ME" デヴィッド・スーシェ『ポアロと私』
イギリスの俳優、デヴィッド・スーシェの自伝を読んだ。
- 作者: David Suchet,Geoffrey Wansell
- 出版社/メーカー: Headline Book Publishing
- 発売日: 2014/10/01
- メディア: ペーパーバック
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スーシェは1988年から2013年の四半世紀を通して、アガサ・クリスティの生み出した世紀の名探偵エルキュール・ポアロを演じた名優。自伝の題はPOIROT AND MEーポアロと私ーである。
彼がポアロの役に出会ったのは42歳になる年。この運命的な出会いをきっかけとして、スーシェはポアロの俳優として世界中にその名を知らしめることになる。
この自伝は「ポアロと私」と題されてはいるが、必ずしもポアロを演じている彼ばかりが描かれているわけではない。彼はポアロを撮影してきた25年の間に、舞台やハリウッド映画に出演し、自身のcharactor actorとしての道を探求した。
しかしどんなにポアロの役を離れても、この名探偵の影が彼の中に幾度となく立ち現われる。スーシェは自伝の中で、25年の間に何度もポアロシリーズがその時撮影中の作品で終わるかも知れないという不安を抱いたことを吐露している。スーシェにとって「ポアロと私」の関係は常に揺らぎながら変化し続けるものであったと同時に、その関係を語ることが彼の俳優人生の起伏を語ることと同義となった。ポアロはスーシェにとってそれほどに大きな存在であったことが本書から分かる。
本書は一人のプロのエンタテイナーの自伝としてとても面白く、形は違えどエンターテイメントに携る仕事をする者にとっては、読めば彼のプロ意識の高さに背筋の伸びるようなエピソードも多数収録されている。
また、ポアロのTVシリーズをまだ見ぬ者にとっては作品鑑賞前の優れた導入の書となっている。原作を徹底研究しながらTVシリーズに変換するにあたって、各作品の制作現場にあった緊張感や演技・演出のこだわりなど、作り手の立場から活き活きと描かれている。TVシリーズの内容を知らなくても十分に楽しめ、どの作品から見るのが良いかの参考にもなるだろう。ただ、原作もTVも知らない人にとっては意外な犯人が分かってしまう致命的なネタバレを含むので注意が必要である。ということで、特に原作ファンでTVシリーズを見ていない人にぜひお勧めしたい。
大木裕之展 現代子 於・高松市塩江美術館
http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/23846.html
展示室に入るなり、このアーティストの展示空間の使い方に衝撃を受けた。そこは言ってしまえば、ただひたすら散らかった部屋。美術館の展示室と呼ばれる空間を大きく逸脱していることが一目見て分かった。
散乱する作家個人の記録、ゴミ?、衣服、建物の図面のようなもの、その他がらくたect、その中にぽつりぽつりとならべられるディスプレーには大木さんの撮影した映像作品が流されている。壁には十代に描いたという油絵もかかっていたがキャプションのようなものは見当たらない(あったのかも知れないが、全くと言って良いほど存在感がない)。展示されている内容の年代はほぼアーティストの活動の全てに渡っていたと言って良いし、散らかっている作品以外のものたちもまた、長い時間を越えてこの部屋にたどりついたものばかりだ。
映像作品は撮りためた映像の断片をせっかく編集でつないでひとつの作品にしているはずなのに、この雑然とした空間にあっては鑑賞者がそれらを腰を据えて見るということは不可能に近い。映像たちは再び断片に分解され、空気中に溶け出してしまっているような印象を受けた。
私のような凡人の理解を越えているにもかかわらず、私はこの部屋から目が離せなかった。結局2時間ほど滞在。部屋全体に大木裕之さんという人間そのものが詰まっていて、それゆえに見ても見尽くせない魅力がこのインスタレーションにはあった。
この型破りな展示を見て私が何より考えさせられたのは、一般的に美術館で私たちが出会う作品たちがいかに「展示室」という既成の、お行儀の良い空間で、凝視されるために準備されているのかということ。それは美術館やギャラリーで展示を考える人間が作品を無理やり「展示室」の枠にはめている側面もあれば、制作者側の意識もまた「展示室」に無意識に飼いならされているという部分もあるのではないか。
本来の人間の創造的活動って、そんなものに捉われる必要はあるんだろうか?今後の美術館ってどうなるんだろう?そんなことを考えさせられる展示でした。